6.07.2011

第1回 なっつの押し売り歴史塾

オタクって思われたらどうしようなどと、おそるおそる歴史の話をするなんて馬鹿げている。そう思いませんか。なっつの押し売り歴史塾ではみなさんからの日常での様々な疑問に力一杯お答えします。ついつい力説して早口になってしまうことも、ここでは気になりませんし、聞いてくださっているみなさんの反応だって見えませんから、思い切りいけます。

先日、会話の中で友人の一人から素朴な質問があったので紹介します。

テンプル騎士団紋章
『なっちゃんのtwitterのプロフィール意味全くわからないんですが、テンプル騎士団て何ですが?』
—テンプル騎士団とは、中世の騎士団(所属する彼らは騎士であり、修道士でもあります)の名前です。

『なっちゃんはテンプル騎士団の一人なんですか?』
—残念ながら、正確には違います。
テンプル騎士団は1118年、第一回十字軍の後、フランス貴族ユーグ・ド・パイヤンを総長に友人ら10名ほどで創設されました。その後、王や教皇よりもお金を持っていたとされるテンプル騎士団も、友人同士で立ち上げたサークルのようなものからスタートしたのです。キリスト教徒の聖地でもあるイェルサレムに巡礼に行く人々の保護を目的としてたちあがりました。
しかし、1314年には異端の汚名をきせられ、テンプル騎士団は廃絶させられたのです。私は1987年生まれの山羊座ですから、当然テンプル騎士団への入団の機会はありませんでした。

『異端とはなんですか?』
—異端とはキリスト教の世界で、正統の反対の言葉として存在します。つまり、正統でない考え方は異端なのです。非常に排他的ですね。
キリスト教の歴史の中では、新しい考え方や流れ、教皇の権力を危うくする考え方が出てきたとき、その者たちを異端とし、排除しました。頭に異端のしるしの帽子を被せられ、火刑に処されたのでした。
火刑にかけられるテンプル騎士団員

『テンプル騎士団はなぜ異端とされたのですか?』
—力と富を持ちすぎたからです。寄進を受けたり、東西のお金の両替をしたり、銀行のような役割を果たし、王にまでお金の援助をしていました。14世紀初頭のフランスは財政難で、フランス王フィリップ4世はと教皇クレメンス5世は、お金を巻き上げるため、彼らを異端とたのです。



異端とされたテンプル騎士団員は1307年10月13日金曜日、拷問の末一斉に火刑に処されました。不吉な『13日の金曜日』はこの日からはじまったとされています。

最後に残された4人の指導者が火刑に処される際
『フィリップとクレメンスを呪ってやる』
との言葉を火の中で発し、クレメンスはその場で青ざめて即倒、一ヶ月後に死亡しました。
フィリップもその年に急死。その他裁判に関わった者は一年以内に謎の死を遂げています。

聖杯伝説、フリーメーソンとの繋がり、テンプル騎士団の財宝など、廃絶から700年経った今でも彼らの神秘性は薄れていない。


みなさんが日常生活で気になったこと、何でも聞いてください。
ここで紹介させていただきます。

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