「余の愛する者はただひとりのみ。何者も余が妃に匹敵する者はなし。生きてあるとき、かの人は至高の美を持つ女人であった。去りて、しかして余の魂を遙か遠くに奪ひ去りしが故」
妻が亡くなった時、彼はこう詩に残しました。
古代エジプト王朝は実に3000年以上も続いた、歴史上、世界で最も有名な王朝です。その輝かしい歴史の中にも、愛によって結ばれた王と王妃がいました。
ラムセス2世「古代エジプト史上もっとも偉大な王」と称される通り、アブ・シンベル大神殿、カルナック神殿の建設や、カデシュの戦いで有名ですね。もうひとつ、彼を有名にするのが、90年の生涯で111人の息子と69人の娘をもうけたという事実。183cmの長身でこの手腕を考えればこの数字は事実に近いはずです。偉大な王を喜ばせるために、美しい女性たちは下着を身につけず、肌が透き通る衣装を着、わざと鏡のように磨かれた床の上で妖艶なダンスを踊りました。これが今に伝わるベリーダンスの起源です。英雄、色を好むんです。
ラムセス2世「古代エジプト史上もっとも偉大な王」と称される通り、アブ・シンベル大神殿、カルナック神殿の建設や、カデシュの戦いで有名ですね。もうひとつ、彼を有名にするのが、90年の生涯で111人の息子と69人の娘をもうけたという事実。183cmの長身でこの手腕を考えればこの数字は事実に近いはずです。偉大な王を喜ばせるために、美しい女性たちは下着を身につけず、肌が透き通る衣装を着、わざと鏡のように磨かれた床の上で妖艶なダンスを踊りました。これが今に伝わるベリーダンスの起源です。英雄、色を好むんです。
この時代、王は神の化身でした。その血はたいへん高貴であると考えられ、結婚といえば兄妹や、父子ですることは当たり前でした。愛よりも権力を優先させての結婚は当然のことだったかもしれません。ツタンカーメンの妻であった、アンケセナーメンも、ツタンカーメンの実父の妻だったのですが、その後幼馴染だったツタンカーメンと結婚しました。ツタンカーメンの副葬品から考えても、年の近かった二人はとても幸せな生活を送っていたようですが、亡くなった後は自分の祖父ほど年の離れたアイとの結婚をさせられているのです。
このような時代に、女性として夫に生涯愛された女性が、古代エジプト王朝三大美女の一人、ネフェルタリでした。ラムセス2世は30人の女性を妻に持ち、500人の女性が彼に仕えていましたが、ネフェルタリだけは特別でした。10代前半で結婚してから、彼女が45歳ごろ亡くなるまで生涯愛されました。アブ・シンベル神殿の彼の彫像の傍には必ずネフェルタリがいるし、レリーフにも何度も登場し、小神殿は結婚25周年のお祝いに彼女のために造りました。完成の直前に亡くなった彼女ですが、病気で苦しむ日々、神殿の完成は彼女の楽しみだったことと思います。何百人、もしくはそれ以上の女性に囲まれた王から、ネフェルタリは亡くなるまで深い愛を受け続け、去って3300年たった今もそれは変わることはありません。永遠の愛を信じる勇気を与えてくれます。
すてき
ReplyDeleteBELLA
ReplyDeleteだよね~。ほくほく