10.26.2011

キテる天才


いくら自分に性的魅力が備わっているからといって、ついつい主張しすぎてしまう人は反省してください。こちらは目のやり場に困っているのです。

古代ギリシャの医者、ヒポクラテスは数々の名言を我々に残しました。ここでひとつ、一世一代の迷言をご紹介しましょう。

「災症を起こし易い体質であり、頭の中の毛細が、性欲によって激しく動かされ熱せられて表皮に達すると、毛髪の根が枯れて髪の毛が脱け落ちる」

はて、何のことでしょう。察しのよい方は容易に理解できたはず。そうです、頭髪のことを指してします。つまり彼は、性欲が強い男性は頭髪がうすくなりやすいと主張しています。

彼は名高い医者ですから、当然、経験に裏付けされた確かなる根拠のもとに、この主張をしているはずです。ですが、この主張の根拠は彼自身が禿げているというところです。毛髪の根が死んでしまうのは、興奮によるというのですが、百歩譲って経験が元になっているとしましょう。性欲が旺盛だった、ヒポクラテス。自身が禿げているのが根拠とは何とも言えません。

現在分かっていることは、性欲が旺盛だから頭髪がうすくなりやすいのではなく、男性ホルモンのテストステロンが影響しているということです。テストステロンは悪い働きをする訳ではないのですが、影響があるらしい。

今日の私達も一度は聞いたことがある、この説ですが、彼の歴史に残る迷言だったのです。なんだかじーんとくるものがありますね。ただ、主張し過ぎるその魅力には目のやり場に困ります。

10.20.2011

キテる女の髪

She is...
別に怒っている訳ではありませんが、定説というのは、一般的な共通認識ではなかったでしょうか。定説がそんなに簡単にぶれることがあってもいいのでしょうか。
尋問ではありませんが、答えてください。黒髪ストレートロングがモテると言ったのは誰ですか。誰なんだよ、一体。男性の好みに無頓着な私ですが、髪型はよく考えると、ストレートロングでした。ちなみに今は、黒髪ストレスロングです。最近まで仕事で色々あったのでストレスロングですね。

女性の髪は有史以来、男性を虜にするアイテムであり、長い間、霊的な意味合いをもっていました。古代エジプトでは、女性が祭壇に髪を供え、災難が起こらないように、神をなだめました。
そういえば、私の友人は悪魔と契約を交わした魔女なのですが、彼女の髪はというとどうでしょうか。ttp://hogepimax.blogspot.com/2010/06/with-lucifer.html今、前髪は眉毛のはるか上をちらつき、それ以外の髪はというと、地面に向かうストレートロングです。自分は悪魔とは手を切ったとでも言いたげではありませんか。つい最近まで魔女特有のうねうねとした、細かいウェーブがかかったロングヘアでした。左の首元には悪魔との契約の証であるヘビを従えています。会う度に爪の色は違えども、たいていの場合、どすが効いた紫という始末。
日本では黒髪ストレートロングが確かにモテるという定説がありますが、果たしてそれは魔女にも有効なスタイルなのか。本来、生粋の魔女というのは、根元から10センチから先はうねうねウェーブと決まっています。

果たして彼女は悪魔と手を切ったのでしょうか。そう簡単になかったことにはできません。
この世界で上手くやっていくために人工的にストレートにしているのではと私はふんでいます。

10.19.2011

イスラム圏からの手紙。

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لقد ربحت 1000000 £، 00 ، شركة التبغ البريطانية الأمريكية حاليا الترويجي
  
  اسم....
  البلد...
  عمر...

ある日突然アラビラ語でメールがきたら、興ざめですか?私は、アラビラ語のメール一本で一瞬にしてエキゾチックな気分になることができます。いったい誰が私に興味を持ってくれたのだろう?もしかして、ブログを見てくれたのだろうか。日本語の草書体のような、流れるようなその文字に、ついつい左から右に目を移してしまいます。右から左に書くアラビラ語は、左利きの人に圧倒的に有利な言語ではないでしょうか。
アラビラ語でエキゾチックな気分になることができることは、一般的に、ごくごく当たり前の感情です。中には、ある決まった状況で、必ずセクシーな気分になってしまうという人も多いことでしょう。

ある女性は、好きな人と二人きりになった時といいます。またある男性は状況に関係なく、四六時中といいます。またある人は、見知らぬ人とお酒をたんまりと飲んで、ミナミのネオン街を歩く時だといいます。

やはり、女性は往々にして感情が全ての源であると言えるでしょう。大人の話は専門外なので、わかりかねますが、エキゾチックな話なら専門ですので、次のブログで紹介したいと思います。

今日、このように思いのままに書いていますが、結局何が言いたいかと言うと、私はやっぱりバカだということです。
今日私にきたアラビラ語のメールには何やら £1000000という文字があります。
イスラム圏の誰が私にメールをくれたのだろうと、エキゾチックな気分に浸り、胸が高まり、歓喜あまって『アラビラ語 翻訳 フリー』と検索しましたが、これは紛れもないスパムメールです。

10.18.2011

Four seasons.

It smells like winter is coming.
I don't feel like working in my office on such a beautiful day. I would love to go somewhere.
Somewhere I've never been.
With someone on the same wavelength.

10.15.2011

What is your choice?






人はなぜパートナーを求めるのでしょうか。なぜ家族をつくるのでしょう。種を残すことから始まったこの動物的行動は、なぜ理性の発達した人間が21世紀の現在でも当然のこととして行っているのでしょうか。

今では一生一緒に生きることを決めた二人は結婚をして、社会的に結ばれます。ほんの50年ほど前までは、個人ではなく、家と家とのつながりが重視されていたことは周知の事実です。ヨーロッパの中世社会でも結婚は親族関係の基盤をつくり、社会全体の基盤を築くものでした。結婚は社会的な契約で、花嫁の支配権が父から花婿へと移ることを意味しました。

幸せなことに、私たちが結婚する時は感情が重視されることがあたりまえとなりました。結婚に契約という縛りがなくなった今、感情を優先させることができます。結婚への道のりの途中、条件というハードルにぶつかることがあります。そんな時、あなたは何を選んで何を諦めるでしょうか。相手がどこに住んでいる人か、外見はどうか、長男かどうか、職業は何か。女性と男性とでも考える条件は全く違います。

一生を左右する選択ですから、冷静で理性的に考えることは当たり前で、非常に大切なことです。その結果、結婚にはたどり着けそうにないと思っても、その人と一緒に生きていくことが難しい状況でも、相手が一緒に生きていくことを真剣に考えて、歩幅を合わせてその努力をしてくれる人であったらどうでしょう。そんなに恵まれたことがあるでしょうか。長い人生です。長い人生、楽しいばかりではない人生です。誰となら手を取り合って生きられるか。パートナーの良い影響でがらりと人間が変わった人を私は知っています。理屈ではない力があるのですね。もちろん相手にばかり歩幅をあわせるよう、求めるだけではいけません。お互いにというのが大事です。

10.12.2011

運命の赤い縄

『もう何も尋ねないで』ローレンス・アルマ=タデマ
Sir Lawrence Alma-Tadema Ask me no more 1906

それは腐れ縁ではなくて、運命の赤い糸かもしれません。バカと天才は紙一重といいますが、腐れ縁と運命の赤い糸とも紙一重であるかもしれないのです。

運命の赤い糸の伝承は中国の宋の時代にまで遡ります。
ある男が、運命の男女の足首に赤い縄を結ぶという不思議な老人に会います。赤い縄で結ばれた二人は距離や身分に関わらず、必ず結ばれるというのです。すぐにでも結婚をしたかった男は老人に運命の女性を教えるよう頼みます。老人は市場に男を案内し、運命の女性に会わせました。男は理想からかけ離れた女性を見て激怒し、その女性と結ばれることがないように、女性に刃物を振りかざしたのでした。

女性は醜い幼児だったのです。
それから長い間、男は縁談で失敗します。そのまま十数年が経ち、ついに美しくて若い女性との結婚が決まりました。その美しい女性の額には、古い傷があったのでした。

私はこの話、そんなに好きではありません。酷い話です。男は幼い女の子に刃物を振りかざしたにも関わらず、十数年後、その女性が美しく成長したら自分のものにしたわけです。恐ろしい話ではありませんか。

赤い糸でも赤い縄でも見えればいいのに、と思いませんか。小さいおっさんの妖精を見たことがあるという報告はよく聞きますが、人の足に赤い縄を結ぶという怪しい老人を見たという報告は今のところ聞いたことがありません。

『俺の理想とは違うし、今までああいうタイプとは付き合ったことないな。』とか『彼は条件をクリアしてないわ。もうちょっと....。』『今の彼とは長いけど、物足りないわ。』とか引っかかるわりに、何をしててもあの人の顔が思い浮かんでしまうあなたは、今までに目を凝らして足首を見たことがありますか。条件ばかりにとらわれず、勇気を出して綺麗な心で、足首を見てみることをオススメします。もし今後、怪しい老人を見ることがあれば、この場を通して報告をお願いします。

10.05.2011

人は旅をすると大きくなれるのか

Robert Rauschenberg

人は旅をしなくては、うつわの大きな人間にはなれないのでしょうか。旅をするという行為を客観的に他人が評価すると、大抵の場合、まるで解脱をした人のように感覚的に評価してしまうでしょう。『あの人、インドにぶらりいってたみたいよ。』なんて誰かが囁こうもんなら、その人の高感度は不思議と上がります。極端に言えば、ガンジーになって帰ってきたのだろうかと思う人もいるかもしれません。インドに対して、どのようなイメージがあるのでしょうか。インドに行けば、ガンジーになれるのでしょうか。

結論から言うと、ガンジーにはなれません。人は旅をすると、どうなるか。知らない土地をじっくり歩き、違う人種の人と関わりをもち、その土地の水を飲む。生まれた土地で生きてきた人と何が違うのでしょうか。旅をせずとも、幸せに過ごすことはできますが、自分の故郷や、家族、自分を見つめる機会には恵まれにくいはずです。

あなたは必ず旅先では、やっぱ日本いいわ、お母さんに会いたいわ、と思うでしょう。故郷の景色がよぎることでしょう。

何かと旅をした人へのイメージが膨らむ、何か成し遂げたように見えるのは、間違いではないのです。確実にガンジーにはなれませんが、自分の中の感情や感覚は研ぎ澄まされ、内面の世界が広がります。

旅をすることは、自分の内面の広がりの中を旅することなのです。
私自身、日々に追われて、外の世界へ発信することが義務となり、内側の自分と話をすることが本当に少なくなっています。
私は義務を果たさなければなりませんが、内面の広がりの中でふらふらとすることが好きです。感覚的で、直感的な私は、難しい義務など理解すること自体が難しく、外側ではうまくやれません。物思いにふけり、考えごとばかりする私は、全く生産性がありません。もっぱらこのようなことばかり考えています。どう生きたいのか。選択するのは私たち自分のはずで、誰かのせいではありませんし、誰かがどうにかしてくれるものでもありません。

10.04.2011

Kabbala

Creation of Adam’ from the cycle ‘Kabbala’ by Ernst Fuchs 1975)

Coming up soon.