9.07.2011

第3回なっつの押し売り歴史塾「ウズベキスタン戦」


"The life and successes of Alexander the Great,"
 岡崎選手のヘディングシュート、ありがたかったですね。ロケットですよね、あれは。私はサッカー大好きですが、プレーに関しては詳しくないです。あれはやはり足で蹴るのより、ロケットのほうがい効果的なのですか?いつも岡崎選手はロケットのごとく、体が浮いた状態で突然私の視野に入ってくるので、いつも驚いてしまいます。そしてあの笑顔です。同い年の選手がああやって世界で活躍しているのを見るといつも勇気付けられます。

まあ、ウズベキスタンのスタジアムのサポーターの異様な空気。アウェーなので異様と感じるのはあたりまえなのですが、スタンドを見ると男性ばかりでした。やはりイスラム教の国だからだということは否めません。イランでは女性はスタジアムでサッカー観戦をすることはできません。おもいつきで書いているので調べていなのすが、男性しか観戦が許されていない、もしくはそこまでの決まりはなくても、イスラム教では特に家庭外での女性の活動は制限されるので、サッカー観戦はあまりふさわしくないという風潮があるのかもしれません。ちなみに、イスラム教では一夫多妻制があるが、これは一見男尊女卑に基づくように考えられるが、これはムハンマドが生きていた時代は戦争で夫が死んでしまう場合があり、その後の女性の生活を新しい夫が保護するという社会のシステムの意味での一夫多妻制なのです。

もう1つサッカーを見ながら思いをはせたのが、アレクサンドロス大王です。ご存知、私の憧れの男性です。ウズベキスタンの古都にサマルカンドというところがあります。そこで前328年に、アレクサンドロス大王は、彼の命の恩人でもある側近のクレイトスを酒宴の席で刺し殺してしまいます。アレクサンドロスは当時の目標の敵を倒した後も、故郷マケドニアに帰ることなく東へと進みました。(東方遠征)部下たちは、マケドニアを出て7年になっていたのです。神話の世界の神々の偉業になぞらえ生きようとするアレクサンドロスを酒の席で叱咤したクレイトスは、アレクサンドロスの手によって殺されてしまいます。その後、アレクサンドロスは自分がしたことを後悔し、めっきり弱ってしまいます。あんなに取り乱した彼は見ていられませんでした。彼の一番の側近かつ、愛人だったヘファイスティオンもあの時だけはどうすることもできませんでした。

なんていうことも昔はあったなぁと思いながら観戦をしていました。どうなることかと思ったけど、あの頃がなつかしい。

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