9.12.2011

塩のさじ加減

話に落ちをつけてしまうあなたは、脳の回転が速く、人気者。だれもがうらやむそのスキルですが、弁がたつという天才的なスキルを、恋愛シチュエーションで披露する女性は天才ですが、有能とは言えません。男性は話し上手で、落ちをつける女性を敬遠する傾向にあります。特に古くから、日本の男性が好むのは、にこにこと優しく微笑むしおらしい女性です。しおらしいとは、つつましく、遠慮がちで、守ってあげたくなる、そんな様子です。ですが、どんなにしおらしい女性を選んでも、結婚後は大抵の場合、弁舌たくましい女性となることでしょう。

塩と日本人とは神話の時代から、密接なお付き合いです。先日、友人と夕食をとりに行きました。ちゃんじゃ巻きを食べ損ねて店を出るとき、私は店先に盛り塩を発見しまた。そこで友人は、私に盛り塩の由来を話してくださいました。一年のほとんどをテキトウに過ごす方ですが、気まぐれに非常に有能な一面を見せてくれます。そういう方に私は刺激をいただいています。
ちょうど私は今、古事記を読んでいるので、塩といえば、禊ぎを思いだします。
イザナギノミコは黄泉の国から帰ってきた後、死者たちからの穢れを取るため、海で水を浴びます。これが、日本人が塩を清めに使いはじめた理由です。インド生まれのヒンドゥー教の沐浴や、キリスト教にもバプテスマ(洗礼)があり、イスラム教でも、お祈りの前には水を浴びます。今日は塩のお話ですが、水と宗教の関わりについても調べてみる価値がありそうです。

イザナギノミコが海水で禊ぎを行ったことが簡略化され、神道では、水と塩を用いて清めを行うようになりました。

日本では神道と仏教とか習合しているので、仏式のお葬式でも多くの葬儀屋は清め塩を用意しています。

神道では、死を穢れたものとしたため、清める行為が必要ですが、みなさんご存知の通り、仏教では、死は生の一部分、つまり輪廻の一部にすぎないのです。本来の仏教の考え方では、死は自然なことなので、清め塩は当然必要ありません。

ですが、神道は以前の記事にも書いた通り、
今生きている人間が主体であり、他の宗教のように人間を罰する絶対的な神はいません。何でも信仰の対象となり、祀らないからといってもなにもありません。このような緩やかな日本古来の神道は仏教にも影響を与え、さらに多くを仏教から吸収しています。

清め塩自体が、文化として仏式のお葬式に残っている限り、それもまた日本らしいですが、宗派によって、信仰心によっては、清め塩を必要としない方もおられます。

塩は使い手のさじ加減によって、大きな効果をもたらします。嫌な人には塩をまけばよいし、お風呂に入れると、美肌効果抜群です。私は小さい頃、小学校からの帰り道、雪を溶かすために道沿いに数百メートルごとにおいてある、黄色い袋に入った塩を舐めていました。
清め塩も、道路沿いの塩も食べるためのものではありません。

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